うちの母は、ケセラセラ♪

携帯ストラップ/もてなし術は遺伝子?

こちらは、今私が携帯に付けているビーズです。
今までは、クリスタルを主にしたものを付けていましたが、
最近付け替えました。
赤い紐の組紐は、浅草の組紐屋さんで購入したものです。


和風の組紐とスワロフスキーの組み合わせが以外と
可愛かった。
ビーズの色合いも可愛いです。





この間の事・・・・


母がポツリと言いました。

さんざん食べたい物を食べて、今まで食べ物に苦労した事が
なかったから罰があたって今頃こんな病気になっちゃったのかな・・


一番食べ物がなかった戦争直後でさえも食べる物に苦労した事は
なかったそうです。


祖父母の家はいつも食べ物に溢れていて、祖母はいつも
台所で何かを作っていました。


祖父母は人に振る舞うのが好きで、祖父は誰が来ても祖母に
すぐに食事のしたくをさせたそうです。
祖母は祖母で、戦後、食べる物がなくてお腹をすかせた近所の
大家族のお宅に、おにぎりを沢山作って持って行って
あげたりしたそうです。


祖父母共にそんな風なので、当時から頂き物も多かったのだそうです。
女学校時代の母のお弁当には、めそうなぎや、馬肉のハラミの網焼きなど
自分が好きな物を色々入れて、当時の日の丸弁当の友達からは、
そりゃあ嫌な感じに見られたでしょうね。


母は戦時中、銀座に勤めていて、一人で日動画廊などで食事を
したのだとか。
日動画廊の炒飯は忘れられない味なんだそうです。


こんな事も聞きました。
仕事帰りに駅から家に歩いて行く途中にあった交番で、
「ちょうど帰って来る頃だと思って待ってたんだよ」と
お巡りさんがいつもラーメンを取っておいてくれたのだとか。


取っておいたらラーメン延びちゃうんじゃないかなぁと思うのですが
どうだったんでしょうか・・・。


祖父母の話に戻りますが、祖母が作るものは、やはり昔の人なので
和食が主です。
ところが祖父は、昔の人でしたが、洋風のものも大好きでした。


フランスパンが好きで、娘(うちの母)が作るシチューやグラタンが
好きでした。
祖母は家に電話して来て母にシチューの作り方を聞いて作ります。
それを黙って食卓に出すと、祖父は、「○○○(母の事)が来たのか?」
と言うのだそうです。
すると祖母は、自分が作ったのだと言わず「そうですよ。」と
言ったらしいです。


娘が来て作って帰った・・・そのほうが祖父が喜ぶと思ったんですね。
とぼけた祖母でしたから。


母は祖父にそっくりです。
でも祖父だけでなく、祖母からも血は脈々と引き継がれているのを
感じます。


母も料理が好きです。
そして振る舞うのが好きです。
家に遊びに来る時は、覚悟が必要なんですよ。
ほとんど押し売りのようにもてなしますから。


アメリカに住む親戚の子の旦那(アメリカ人)が母の真似をします。
「たべなさ〜い、たべなさ〜い!」


母 「そんなこと、言わないよ!
   そんなこと言ってないで、ほら!食べなさい!」



あ! 言ってた!





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