うちの母は、ケセラセラ♪

やっぱりケセラセラ♪

今朝、母が起きて来て、突然言いました。



母 「死にそうだよー」



私 「どうしたの?」



母 「時計をなくしたみたいなんだよ。」



文字盤の数字がよく見えるのが、気に入って
一番よくしている時計が見あたらないのだとか。




なぜそんなに悩むのかと言いますと、
時計をなくしたとしたら、これで2度目だからです。





母はものをきちんとしているので、
なくすと言う事が今まではありませんでした。



何かがなくなった時の犯人は、だいたいが私でした。





むかし、こんな事がありました。


父の象牙の箸が見つからない、
どこにもないと騒ぎになった事があります。




「私は知らないよ。
 お父さんの箸なんかどこにもやる訳がない。」
と言い張ったのですが・・・




その後、庭で父の箸を発見したのは私でした。




その時、思い出したのです。
前の日、犬にご飯をあげる時に、父の箸を使った事を。




鍋で食事を作って、お犬さま用のお椀に入れる時に、
その箸を使いました。




そして、からっぽになった鍋に箸をつっこんだまま、
父が作った盆栽を載せる台の上に置いたまま、
忘れていたのでした。




犬にご飯をあげるのに、なんで父親の象牙の箸を
使うのかって・・・もうそれ以上言わないで下さい。
この話しをすると、誰からもそう言われます。
ひんしゅくものなのは、わかっています。




なんで? なぜ?
答えは簡単です。
何も考えてなかった。
そこにあったものを使った。






私が見つけた時には、箸は、三分のニの長さになって
しまっていました。




象牙の箸は、箸先に食べ物がしみ込んでいて、
当時我が家にいた、ふく(柴犬)には、
犬用のガムのようで、美味しかったのです。




野放しにしていた「ふく」は、自分の食事が終わってから、
盆栽台の上に登って味のしみ込んだ父の箸をも
デザート代わりに食べてしまったのです。




この話しは今でも母が笑い話しとしてよく話します。




ちなみに、前に母の時計がなくなった時も、
どうも、やはり私のせいらしいのです。




真実はわかりませんが、状況から考えると
その傾向が強いと言う事がわかっています。




何かがなくなった時は、だいたいが私の仕業だと思えば
間違いがなかったのです。




母  「最近、物がよくなくなってばかりで、
    私もとうとう危なくなって来た。」



と母は、嘆きました。





と嘆いていたかと思ったら、 
あれ? なに? 


鼻歌が聞こえて来たのです。

 

  《さっきは、 「しにそう」 だったんじゃないのー?》




そして、鼻歌から本格的な歌に変わりました。




  《どうなってんのよー》




旦那は言いました。



親子よく似てる。














にほんブログ村 ハンドメイドブログ レースへ いつもありがとうございます。                  コメント頂けると嬉しいです。