うちの母は、ケセラセラ♪

法事なんだから・・・

昨日は祖母の十七回忌の法要がありました。


お寺は、浅草の菊屋橋にあります。
ちょうど合羽橋通りの裏通りにあるお寺です。


家の旦那は、ここの住職のお経が好きです。
とても上手に真似をします。
真似すると、みんなにうけるので、嬉しくて何回もやります。
昨日も研究していました。


このお寺には、祖父母のお墓と祖母の兄弟2人のそれぞれのお墓とで
3つのお墓が並んで建っています。
こちらのお寺とは、本当に古いお付き合いです。


祖父は、もともとは福岡の小倉出身です。
獣医をしていた実家の長男として生まれました。
母親を早くに亡くし、曾祖父の再婚がきっかけかどうかは、
定かではありませんが、弟と共に京都の中学へ入り、
大学を兄弟共に東京へ。


浅草に自分のお墓を作り、今、祖母と共に浅草の地で
眠っています。


今の時代とは違い、昔の事ですから、本来であれば
実家の跡継ぎとなるはずだったのでしょうが、
実家を捨て、東京に根を下ろしたのです。


祖母とは、どのようにして知り合ったのか
今となっては謎なんです。


祖母は温厚と言えば温厚、ちょっと変わった人でした。
これを言うと語弊がありますが、B型特有な性格だと
私は思います。面白い人でした。


祖父はとにかく厳格な人でした。
痛い、辛い・・・などと言う言葉を口にした事は
なかったそうです。
明治生まれの九州男児だからなのでしょうか。


ゴーイングマイウェ−の祖母だからこそ、厳格な祖父と
合っていたのだと思います。


祖父は、母には特に厳しく、「だって・・・」などの口答えを
すれば、たちまち物が飛んで来るそうで、母にとっては
祖父が亡くなった今でも怖い怖い存在なようです。


でも、私には優しい祖父でした。
叱られた事など一度もありませんでした。
私の書道の評論家でもありました。
いつも褒めてくれました。


母は、「下手でもいい。嘘字だけは書くな。」と
よく祖父に言われたそうです。


私は小さい時から書道を習っていたので、
祖父に年賀状や手紙を書く時は、少し緊張して書いたものです。
でも祖父は、いつも私の字を見て「いい字だな」と褒めてくれました。


母がまだ十代で習い事をしていた頃の事です。
お稽古に行く時に、もしも雨が降ったら
黒塗りの足駄下駄と蛇の目傘を持って来て欲しいと
祖父の家で働いていた人に頼んだそうです。
ところが、その人が持って来てくれたのは、
塗りではない普通の足駄下駄と番傘でした。


母は、これじゃあカッコ悪くて歩けないと言って、
その人がせっかく持って来てくれたのに、
持って帰らせて、自分は雨に濡れて帰ったそうです。


母が家に着いて玄関の戸を開けたとたん、
バケツを持った祖父が玄関で待ちかまえていて、
「お前はそんなに濡れたいのか!」と
怒鳴って頭から水をかけられたそうです。


まあこれは、断然、母が我が儘だったんですね。





お寺にて




お清めです。
旦那と私は前日ポリープを取って、食べられるのは
お豆腐、お粥、白身魚だけでした。
母も食事制限があります。
でも・・・お料理目の前にしたんじゃあねぇ・・・
食べちゃえ!


母は上っ張り持参です。羽織を脱いで着替えました。
さあ!頂きましょう!


従兄弟達です。


こちらは従兄弟の娘です。お年頃でーす!



家に帰って来てから無理矢理撮影させて貰いました。

襟元は、この襟巻きです。




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