ニコライ堂の鐘の音
神田、お茶の水界隈は、懐かしくも馴染みの深い場所です。
学生時代は、可愛い「栞」欲しさに、書泉グランデや、
ブックマートに通いました。
祖父は明治大学出身、祖父の時代のお茶の水界隈は、
どんなだったのでしょうか。
神田川にかかる聖橋と言えば
「♪ たべぇかーけのー檸檬、ひじりばしから ほぉり− ♪・・・」
「さだまさし」の「檸檬」です。
知らない?
・・・年代がバレるのでやめときましょう。
「江戸っ子だってねぇ。」
「神田の生まれよ。」
と言っても病院があったのが神田です。
私が生まれたのは、神田駿河台にある病院でした。
母はその病院に辿り着くまで何軒もの病院で帝王切開になると
告げられ、神田のこの病院でやっと切らないで大丈夫だと
言われたのだそうです。
「ニコライ堂の鐘を音を聞きながら生まれたんだよ」と
よく聞かされました。
そして数年前に母が白内障の手術をしたのも
ニコライ堂を目の前にした眼科でした。
ニコライ堂は、日本ハリストス正教会の大聖堂。
病室の窓から外を見ると、正面にド−ンと緑色のドーム型の屋根の
独特な建物が大きく見えるのです。
お見舞いに来た姪(私の従姉妹)と一緒に。
3泊4日の入院中、ニコライ堂での結婚式も病室から
眺めていました。
何かの行事があったのか、鐘を乱打するのも見ました。
それは素晴らしく、母と二人聞き入ってしまったのを
思い出します。
最初は入院は嫌だと言っていましたが、そんな環境だったので
以外と楽しい入院生活になったのではないでしょうか。
白内障の手術の翌日朝7時前に、家の電話がなりました。
母からです。
何かあったのかと私は一瞬びっくりしました。
私 「どうかしたの?」
母は小声で言いました。
母 「すごいんだよ・・窓に雨があたっているのがよーく見えるんだよ。」
私 「そう!・・・よかったね。」
母 「朝、看護婦さんが、眼帯取ってくれてね。
思わず看護婦さん、きれいね・・って言っちゃった。」
私 「そんなによく見えるの?」
母 「私の手はこんなにシミがあったのかってびっくりしちゃった。
きたない手なんだもの。」
何もかも世界が変わったのだそうです。
そして、自分の目は赤ちゃんの目に戻ったと母は言っています。
ニコライ堂のお陰かもしれません。
8年前の母です。
この頃は太っていました。