うちの母は、ケセラセラ♪

ご報告


今日は、母の月命日です。
3ヶ月が経ちました。


ご報告が遅れて申し訳ございませんでした。



半年振りのアップです。



どうしてよいのか、わからぬまま時が経ち、半年が過ぎました。


昨年11月30日に突然意識がなくなった母は、
翌日には意識を取り戻し、生まれ変わったのだから頑張ると、
大きな目をパチクリさせて、何人もの看護師さんと
記念撮影をしたのですが・・・。


最後まで頑張ったのも虚しく、
3月7日、我が家の母のベッドで、旦那と私の手をにぎりながら、
遙か遠くへ旅立って行ってしまいました。



辛い中でも、沢山の母語録(名言)を残し、
そして私一人を置いて、行ってしまったのです。


今ごろは羽がはえたように、自由に飛び回っている事でしょう。


天から、いつもの母のように「ハハハハ・・・」と
笑ってくれているに違いない。


太陽のように明るく、誰もを引きつける魅力を持っていた母。

楽しくて、面白くて、そしてお茶目で可愛かった母。

優しくて、素直で、面倒見が良くて、誰からも好かれた母。

頭の回転が速く、器用で何でもこなす母。

美しかった母。


自慢の母でした。




今、私はその母を失い、これから先、どうしていいのか
まだ闇の中にいるようです。


まだ母がいなくなった現実を受け止める事が出来ません。



家の中のどれもこれも母を思い出さないものは
ないのです。


母の携帯と、私の携帯とを毎日持ち歩き、
何度もそっと開けて見ている、携帯に残った母からのメール、
何度も何度も繰り返し聞いている留守電に残った母の声、
沢山の思い出の写真やビデオ、
母のメモ、母の文字・・・


見れば悲しくなるのに・・・・見たくて見たくて




痩せて骨の痛みに苦しみながらも。駄洒落を言っていた母。
そんな場合じゃなかったはずなのに・・・。


あの状況で、なんであんなに面白い事が言えたの?
お母さん。



母の笑った写真や、
母が残していった数々のもの、
そして最後の作品になってしまった、旦那が
オーダーした歌舞伎柄のポーチなどなど・・・
ブログに載せたい、たくさんの思い出があるのですが、
何も手につかない、何をしているのか・・
自分でもわからない毎日が過ぎて行っています。


忘れない内に、少しずつ載せていきたいと思ってはいても、
ブログを開いては閉じる、そんな事の繰り返しでした。



まだまだ書きたい事がたくさんあります。


そして、一番言いたい事は、


たくさんの幸せをくれた、お母さん、本当に本当にありがとう。
お母さんの娘で幸せでした。


いつの日か、また再び一緒に笑える日が来る事を
願っています。
それまで待っててね。



これから先の「うちの母は、ケセラセラ♪」には、
新しい作品は載せられませんが、思い出と共に、
忘れないように、私の記録として暫くの間、
続けて行ければと思っています。



前のブログを読み返すと、忘れてしまったような事が沢山あって、
この2年半、書き続けられて、本当によかったと思いました。


楽しかった日々・・・



そう・・・今覚えている事、とにかく書き残しておかなければ・・・・


今私は、とりつかれたように、母の得意だった手料理を作り、
毎日、糠味噌をかき回して、生き抜いています。


母が作ってくれたお料理の数々、聞いておけばよかったと
思う事ばかりです。


だめな娘・・・何も出来ない。


母が笑っています。


そして私は泣いてばかり。
母に謝る事ばかりです。



旦那が母に以前よく言っていました。
「お母さん、もう一度産み直してよ。」


母 「冗談じゃあないよ。 私はもう知らない。
   これからは、旦那の責任だ。」



もやしのようではなく、もっともっと軟弱に育った私は、
強く生きるすべを知りません。


父が、かつて言いました。
「おまえは、強くならなくっちゃだめなんだぞ。
 もしもお父さんに何かあっても慌てちゃいけない。」と。


母が泣いています。



私は母の笑顔が大好きです。



お母さんが、いつも笑えるように、頑張るよ。




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母の写真や作品の写真をデジブックにして
載せたかったのですが、この《はてな》では、
対応していません。

昨日思いついて、急遽、デジブック用のブログを
立ち上げました。


母のケセラセラ♪フォトブログ
未完成で、しかもどれぐらい続けられるか
わかりませんが、覗いてみて下さい。