うちの母は、ケセラセラ♪

地震の中での葬儀

大変な中での葬儀となりました。




地震直後で世の中が混乱状態の中、
来て下さった方々に感謝致します。



葬儀は、我が儘言って、自宅でしました。
その間は、ずっと母と一緒にいられると思ったからです。



20年前、父の時も家でやりましたが、
その時とは、様子が違っています。
家自体も建て直して、間取りも変わってしまっていますし、
相変わらず荷物も多い。


全部一度空っぽにしなければなりません。



父の時は、会社の人が全部やってくれたので、
母も私も、ただ言われるがままにしていただけでした。



今回は、引っ越しセンターに頼み、
一時、家の中の荷物を車庫などに避難。



そして、お通夜が、あの大地震の翌日でした。


カイとマミィは、お通夜の前日、
つまり、その地震の日の夕方、成田に到着の
はずでした。



成田は閉鎖され、カイ達2人は、どうなってしまうのか。
マミィの従兄弟夫婦が、車で成田に迎えに行っていましたが、
飛行機は降りて来ません。



当時の成田空港の様子をテレビでやったそうですが、
着陸出来ない飛行機が、何機も空港上空を旋回している
映像が映っていたそうです。


その内の1機にきっとカイとマミィもいたのです。




そしてその後2人は、どこに行っちゃったのか?
カイのパパもサンディエゴの家で2人を心配し、
情報を集めては、こちらに送って来ていました。



旦那とカイのパパと、チャットで交信したのですが、
色々な情報が飛び交わり、どれが本当なのか、
カイ達は、いったいどこにいるのか、
まったくわからない状態でした。



カイのパパから 
《千歳に行っちゃって、今は、成田に向かっている所。》



旦那 「千歳に連れて行かれちゃったんだって。」


みんな「えーーー!!」


旦那 「でも、成田に向かっているらしい。」



すると直後また、
《どうやら、千歳から羽田に向かっているみたいだ。》


旦那 「違う、羽田に向かっているらしいよ。」



またまた、
《横田に到着したと言う情報もある。》



旦那 「千歳じゃなくて、横田に降ろされたんだって。」



カイのパパが、航空会社に電話して聞いたのと、
旦那が電話して聞いたのでは、情報が違っていると言う
始末です。


どれが、本当なのか、まったくわかりませんでした。


そして、話しは、まだまだ二転三転しました。



結局、千歳に連れて行かれ、空港で待たされたあげく、
それでもカイ達は、まだ運が良く、夜中になって、
やっと用意された真駒内のホテルに到着したそうです。



翌日、早くから空港に待機させられ、結局、夜まで
待たされ、やっとの事で、夜の便で、成田へ。


カイ達が、我が家に到着したのは、お通夜が終わった
後でした。



大変な時に、大変な思いをして来たのです。


前日、迎えに行っていた従兄弟夫婦も、しかたなく
引き返して来たのはいいのですが、大渋滞。
家に着いたのは、翌朝だったそうです。


電車もリムジンバスも止まり、
道路は大渋滞でした。



そして、余震はまだ続いていました。
お通夜の夜には、携帯があちこちで、地震警報を鳴らし、
キューンキューン。
落ち着きません。
葬儀の時は、住職がお経をあげている最中も、グラグラ。



そんな中でも、大勢の皆様が来て下さって、
賑やか好きな母も喜んでいたと思います。



そして葬儀の翌日から、停電です。
電車は止まり、信号機が止まる所もありました。


ガソリンを買う為に長蛇の列。



葬儀が済んでいて、よかったです。
一日遅れていたら、どなたにも来て頂けなかった。



火葬場も動かない所もあったようです。




それにしても、あんなに大変な事になっていたなんて、
知りませんでした。
被災された方々には、いまだ辛い日々が続いていらっしゃる事、
心が痛みます。



あの時、旦那も私も、葬儀がある為に家にいました。
外の様子は聞くだけの情報。
もしも、あの時、仕事に出ていたなら、
家に一人いた母の事を心配して、必死で
歩いて帰らねばならなかったでしょう。



本当に、世の中どうなってしまうのか。

母は、亡くなる前に予言したような事を言っていました。



「地球がブルっとしたら、みんななくなっちゃう・・」






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