忘れられない物 / 親子でふ
母がよく言っていた母にとって忘れられない物。
○ 戦後配給になった、じゃがいもが入ったコンビーフの缶詰。
それを入れて肉まんならずもコンビーフ饅頭を作ったのが
美味しくて忘れられない味。
「今も、じゃがいもが入ったコンビーフなんてあるのかな・・
見ないよね? あれが美味しかったんだけどなぁ・・・」
それが、今でもありました。
いつも母が言っていたのを覚えていた旦那が、
石垣島で見つけて買ってきたのです。
「ん・・・・こんなだっけかなぁ・・
イメージがちょっと違うなぁ・・・」
○ 学生時代に木更津の別荘でバケツ一杯取れたての
シャコを茹でて、むきながら食べた事。
「茹でたてのシャコを、むきながら食べるの・・
それが! うまい!んだから!」
○ 昔、母の義兄に連れてってもらった有楽町の
日劇裏のチャンポンの味。
「あのチャンポンの味は忘れられないねぇ・・
今はもうあの店、ないだろうねぇ・・・」
○ 戦時中に一人でよく行った銀座の日動画廊の
レストランで食べたチャーハンの味。
「一人でよく行ったんだよ。
あそこのチャーハンが美味しかったんだよねぇ・・
今はどうなっちゃってるんだろう。」
でね、食パンを1本買って帰るの。
だけど途中、近所の人に会って、
少しずつ切ってあげちゃうと
家に帰るまでになくなっちゃうんだよ・・・ハハハ」
○ 母が子供の頃に従姉妹と一緒に親戚の叔母さんに
連れられ
桐の下駄を買いに行った事があったそうです。
なぜそんな遠くに行ったのか、わからないのですが、
その時、富士山の見える飯場のような所に
連れて行かれたそうです。
そこで食べたご飯の味が忘れられない美味しさ
だったとか。
「飯場のような所でね、大きなお釜でご飯を
炊くんだよ。
それがまた美味しくてね。」
○ 母が女学校の頃は、自分で毎日お弁当を
作って行ってたそうです。
自分の好きなものばかりを入れて。
馬肉のハラミを焼いたもの、
メソウナギを焼いたものなど。
従兄が言うには、馬肉屋が近くにあったのだとか。
「馬肉のハラミなんて今売ってないでしょ?
あれをね、網で焼いて、お醤油かけて
お弁当に入れて行くの。 美味しいんだよ。
あれが食べたいなぁ・・・」
○ 私が小学生の頃、新潟の子供達との交換会の
下見に、PTAで行った十日町の宿の
野沢菜の味。
「ひどい宿でね。
でもご飯と野沢菜が美味しかった。
あれは忘れられないなぁ・・
こっちに帰って来て食べても、
その味じゃあないんだよね。」
旦那 「なんだ、お母さん。全部食べる事ばっかり
じゃない。」
そして、母のメールも読み返して見ると、
食べ物に関するメールが多いと言う事がわかりました。
***を食べましょう、とか、***が美味しいでふ、
とか、今晩は***を作ったとか、
***を楽しみにとか、
そんなメールが多いのです。