うちの母は、ケセラセラ♪

和裁のお道具

「ズボンの裾がほつれちゃったんだけど、
 かがってくれる?」



と旦那から頼まれました。





今までは、うまい具合に?繕い物などはなぜか
自然と母へと、
旦那も、私には頼まず、母に頼んでいたのですが、
これからは、そうは行かなくなりました。



 
 こんな事もあったっけ・・・→ 




まあ私だって、出来ない訳じゃあない。
やってくれる人がいないのだから、やるしかない。





母の裁縫箱を開けました。




裁縫箱の中には、古い色々なものが
つまっていて、


今の私にとっては、まるで玉手箱のようで・・・




繕いものは後回しだぁ ヾ(´▽`)ノ




ひとつひとつ眺めては、かつて母が和裁のお稽古に
通っていた頃の事を想わずにはいられませんでした。





「むかしはね、先生に誉められて、いつもお手本に
 されたんだよ。
 不思議と何やってもうまく行っちゃうんだよね、
 自分でも出来上がると、これはいいなぁ・・・って、
 良い感じだなぁ・・・って、満足感があったんだけどね。
 何だか今のほうが下手になっちゃった。」






「それがね、ほんとの事言うとね、お手本通りにやった上に
 アレンジを加えちゃったんだよ。

 
 《いたずらっ子のように、ちょっと首をすくめて笑って言いました。》


 それがうまくいっちゃって、先生わからないから、***さんは、
 良く聞いていて、言われた通りにやってるから、
 とても良く出来てますね、って
 みんなに見せて・・・ふふふ」




ビデオの中で母が女学校の時の事を話しています。






和裁のお道具は、母の商売道具。


下の写真は縫い針です。


四ノ四、三ノ四・・・
最初の数字は、針の太さだそうで、
三より四のほうが細く、四は絹用。
後の数字は、針の長さを表している。




色とりどりの絹糸





そして、古い裁縫帳。
戦後すぐ亡くなった母の許婚に貰ったものです。
昭和19年、贈り主の名前も記されていました。


70年ぐらい前のものです。
母はまだ父とも出会ってなかった。




父、母、兄、姉、姪の名前・・・
(私にとっては、祖父、祖母、伯父、伯母、従姉です)


一つ身、四つ身、羽織、襦袢、どてら・・・などと書かれ、
寸法が書き記されています。



もちろんこの裁縫帳には、私の名前はありません。




母 「浴衣なんか、気に入った柄だったら、一晩で縫いあげちゃって、
   明くる日には、すました顔して着て歩いてたんだから。」




母 「着物の時には、汚れた足袋が嫌でね、
   替えの足袋は必ず持ってて
   いつも真っ白な足袋履いてたね。」




若い頃の母を想いひとりでにんまり。






お道具のつづきです。


へら・・・


母のへらと言うと、減って小さくなってしまった
のが、まさしく母のなのですが、
その古いへらが見つかりません。




これは、母が60代の頃に、女学校友達3人で
旅行に行った奈良で買って来たへらで、
比較的新しいものです。




こんなものも入っていました。


生命保険会社から貰ったもののようです。




そして、ミシン針。
110円也




あっ!まだ写真撮ってなかった・・・
くけ台、裁ち板、こて・・・




大量のボタンもあったはず・・・。



大きな四角いお菓子か何かが入っていた缶に
ボタンが大量に入っていたはずなのですが・・・




まだまだ見つからない・・・見つけていない・・・
そんなものが色々あります。




あれがあったはず・・・
確かにあった・・・






まだまだ母の玉手箱が出てくるはずです。







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