勘三郎さんに想うこと
5日に亡くなった勘三郎さん。
訃報を聞いてからの数日、私の心がずっしり重いのは
なぜなのか。
重く・・・そして切ないのはなぜなんだろう・・・
特に大ファンだった訳ではないのに・・・
同じ病気と闘った桑田佳祐さんが、おない年の友の死を
悲しみ、コンサートで勘三郎さんに捧げる歌を歌ったと
テレビで見ました。
年をバラせば、実は私もこのお二人とおない年。
でもそれだけが理由ではない。
勘三郎さんの思い出は、どうしても母とつながる
中村座の思い出が大きいのです。
私の会社は、中村屋さんのゆかりの地である
猿若町に近く、今年、長期興行があった中村座のテントは
目と鼻の先でした。
歌舞伎が好きで、歌舞伎座や演舞場、国立劇場と
よく母と行きましたが、中村座は一番思い出深く、
ブログでも何度か書いていました。
母とは、2000年一番始めの興業の時の「法界坊」から、
二度目は、「義経千本桜」、
そして三度目は、2008年の「仮名手本忠臣蔵」と
3回行っています。
その時のドタバタはこちらから→★
その時々の思い出や、一緒に写真を撮ってもらった
時の事など、母との思い出が重なります・・・
母もいなくなって、もう中村座に行く事はないだろう・・・
と思っていましたが、
来年春の歌舞伎座柿落としには行きたかった・・なぁ。
まさかこんな事が起きるなんて・・・
世の中は想像出来ない事ばかりが起きる
本当にここ数年はそんな思いでなりません。
勘三郎さん、苦しい数ヶ月だったと思いますが、
どうか今はゆっくりと休んで下さい。
ご冥福をお祈りするのと同時に、願わくば、
あちらでもまた中村座を作って欲しいです。
きっと母だけでなく、楽しみにしている方々が
たくさんいらっしゃる事でしょう。
・・・おかあさん!
その時は、お父さんも連れて行ってあげてね。・・・
この時、母は、階段を上がってやっと席に着いたと
思ったとたに、写真を撮ってくれると、
階段の上り下りをしいられて、少しバテての撮影と
なりました。
母、まだ太っている頃です。