あれから・・・
解熱剤を1日3回、5日間飲み続けても
熱が下がらず、3度めの受診。
結果、肺炎を起こしていました。
先生 「点滴だと大変だから、強い抗生剤を1週間分だしますから。
ロキソニンは飲まないで下さい。
薬で熱を抑えちゃうと治りづらくなるから、
熱は出しちゃったほうがいいんです。」
私 「ロキソニン飲まないと動けないんですよ。
仕事に行かれないんです。」
先生 「仕事! 休まなくちゃだめですよ。」
私 「休めないんですよ。」
先生 「休まなくちゃだめです。」
しかたなく診察室を出ましたが、
もう一度顔を出し、
私 「辛くなったら、飲んでもいいですか?」
先生 「やめましょう!」
と言う訳で、言う事を聞いてロキソニンも飲まず、
家で寝ています。
家にいたら、色々とできるかなと思いきや、
この状態では無理だと諦めました。
旦那が私の代わりに、朝の父母のご飯の支度と、
自分が持って行く、おにぎりも作っています。
旦那「絶対に安静なんだからね。
肺炎は命にかかわる病気なんだよ。」
と何度も脅し、
でも、夜帰ってくると、カレーや生姜焼きなど
夕飯を作ってくれて、ありがたい事です。
かつて私が熱を出した時などに、母がよく作ってくれたのは、
暖かいうどんや、お粥、おじやなどでしたが、
旦那のはやはりパワフルです。
体力がつくようにと、肉類が多い。
なかなか今の状態では、食べられないのですが、
ありがたく少しづつ頂いています。
旦那 「糠味噌だってやるよ。
お母さんに代わってやったことあるから。」
母が最後の頃、辛い体をおしても旦那のおにぎり用のお新香を
気にしていました。
「旦那が明日持っていくキュウリを1本、糠味噌の中に入れて
おいてもらえないかい。」
と私にも言っていた事があります。
旦那も自分がやるからと言って、キュウリに塩をして
糠床に入れた、そこまではやった事があると威張って言いました。
いまの旦那と私の生活も、母が作ってくれたものだと実感しました。
ところで、家に1人でいると、思い出す事が次から次へと出てきます。
そして、良いものも発見しました。
肺炎も悪い事ばかりじゃなかった。
発見したものは整理出来次第にアップします。
私が冷たくてツルンと食べられるゼリーがいいと言って、
旦那が買って来てくれた、高野のゼリーです。
他に2種類ありましたが、お腹の中です。