うちの母は、ケセラセラ♪

今回の入院で思った事と、感謝の気持ち


母は、約9年の間に8回の入退院を繰り返しました。


そのなかで、手術が4回。
腹腔鏡、内視鏡、開腹手術と毎年手術が続きました。




病室からストレッチャーに乗せられ
手術室に向かう母に連れ添って行かれるのは、手術室の前までです。



大きな自動ドアを境に、そこから先は踏み込む事が出来ません。
ドアの前で見送り、祈る思いでただ長い時間待ち続けるしか
ありませんでした。



予定時間を過ぎても出て来ないと心配でたまらなかった。



待つこと数時間
そして再び、ドアの向こうから、
看護士さん達に付き添われストレッチャーに乗せられた母の姿が見え、



そんな事ももう何回も経験して、


さらに、入院の準備には慣れていました。





そして、今回久しぶりに味わった
あの病室の空気。



病院の廊下
ナースステーション



ただ違っていたのは、手術室で見送る立場ではなく、
見送られる立場だった事です。



看護士さんが迎えに来て、私が手術室へ。
私は歩いて行きました。



旦那の電話で駆けつけてくれた、従兄姉達と旦那が、
手術室のドアの前で、がんばって、と見送ってくれ、
笑って振り返り手を振りました。



本当は、すごく怖かったけれど、
みんなの顔があったから。




最初の説明で、
造影剤カテーテル検査は全身麻酔ではなく、
でも、その瘤の具合によっては、
急遽そこから全麻に切り替え
そこからは教授が(世界的に有名な方だったんです)
行うと言う事でした。



その時には、また別の承諾を問われる事になるので、
旦那達も、たぶんそうなるだろうと待機していたのだそうです。



従兄姉達もずっと長い間待っていてくれました。



私がベッドに乗せられ、先生と看護師さんに付き添われて
出てくる時も、ドアの前にみんなの顔がありました。



病室に帰ってからも、ずっと。



有無をも言えず、急に決まったカテーテル
逃げたくても逃げられない
心臓は破裂しそうでしたが、
手術前、みんなで、雑談して笑って検査を待てたのは、
本当に心強かった。



私は、これだけでビビっていたなんて、
母は、どれだけ心細かったのか。。。




最後に落ちを1つ


旦那

「手術室へ向かう境のドアのすぐ向こうから
 笑声が聞こえて来たんだよ。」


それが私の声だったので安心したそうです。


「手術室から笑いながら出てくる人ってなかなかないね。」




なぜ笑っていたかと言うと、私の担当医の先生は、
優しくて面白い先生で、私の気持ちを和らげようと
色々な話をしてくれていました。



終わって手術室から出て、
ベッドを引いていてくれた先生が、
ちょうどそのドアの手前まで来た時、


わざとか偶然か、ベッドの柵を誤って抜いてしまって、
どうやるんだ、できないよーと、ずっとガチャガチャやっていて
看護士さんと私と笑っていたのでした。



先生、看護師さん、従兄姉、そして旦那、
お世話にになりました。
色々本当にありがとうございました。



感謝状です (笑)

これは、先日、どこからか旦那が見つけて出してきた
私の賞状入れです。
どれも母が編んだカバーに入れられています。



だいぶ、色が焼けて変色した部分もあって、
洗ってみました。


黄色は毛糸、紺のは、太めのレース糸で編んだものと、
真ん中の紺は、サマーヤーンのような糸でした。


きっと、余り糸で編んだものだと思います。


紺のレース糸は、洗ったら色落ちしてしまって
色が褪せ、縮んでしまいました。



この中には、私の幼稚園、小学校、中学校、
高校、大学の卒業証書と、書道で貰ったものなどの他に、
母のPTA理事の感謝状も入っていました。





おまけは、病院のさみしい朝食の写真です(笑)





いつもありがとうございます。